最近考えていること
やっぱり日本料理はすごい
今の価値ではわかりづらいのだけれども

世界最大の都市でしぜんとの共生、自然循環システムが機能しながらも、食文化が大きく膨らみ華やかになり、また膨らみすぎ自然との循環システムこ壊さない程度にみんなが知っていたのか知らずか江戸時代にはバランスがとれていた。

生類憐みの令、鎖国、水が豊富にあったこと、それだけではないのですが世界に類を見ないような気がします

循環システムは自給率とは少し違い、人口密度の小さい国が大きな農業をするのとは少し違う。

産業革命くらいからそのシステムはどこの国も大きくかわっていくきがするのだけれど、どうも日本もその類になってしまい料理に核というものがなくなっていっている気がする。

僕が敬意をはらい、習いたかった精進料理でさえ世界の注目に踊らされている気がします。

そして人は何かしらの核を求め美味しい、健康だけではないマクロビオティックやスピリチャル的なものに流れていっているのでないかと思います。

それが悪ではないのですが、野菜が好きになり、お客様から与えられる課題のようなものが美味しいだけでではなく、そいうことへ僕を連れて行きのだろうと思います。

民俗学や民芸などのように、大正・昭和の時代に、国が開いて世界の人々に日本とはとの説明のためや、流されすぎないための杭を打つための学問が食には乏しく、

例えれば大工という仕事を学ばず家を建ててしまい、
いつか崩れるのではないかと心配をしなければいけない建物のようなイメージがいまの日本の料理にはあるような気がします。

日本人の気質なのか器用さなのか美味しいという価値には日本の近代化のようなスピードで進んだなか、次にするべきことは民俗学や民芸のように日本人のが何を食べてきたかだけではなく、その中にある様々な宗教性、文化的な影響、自然的影響など複合的に考え解体し言葉にしていかなければいけないのではないかと思います。

日本料理、日本の食の大学がつくられるのが僕の常の願いです。

手を合わせるという毎日の作法的な日本の食事形態には目の前の命だけではなく、先祖から引き継ぐ自然循環システムの類の精度を高めてきたことや、自分をわきまえ食べないと人のものがなくなってしまうというような祈り、思想のようなものがあるのではないかと
僕の日本の食への想いは膨らみすぎています。

こういう事が学問になりもう一度、多面的に食、命というものの捉え方が変われば美味しいという価値の上をいくものができるのではないかと思います。

おお店を構えて8年、答えのない厄介なものに興味を示す年齢になってしまいました。

僕が思うには食の中に神のようなものがいるのであれば、人と人の戒律を示すような神と、遠い先祖が祖霊という神になるようのもの、人を包み込むような自然を神とするその考え方がを程よくあい混ざったのが、魅力的な日本の食にしたてたのではないかとおもいます。

御御御付け(おみおつけ)、このような漢字があるように食には、感謝、敬意、戒律ののようなしくみが組み込まれそれを祈り続けてきたのではと僕なりの解釈ですが長々と書かせていただきました。

今日も御御御付けをいただきます。


やなが









  • 2017.05.12 Friday 22:52
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